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仙台高等裁判所 昭和36年(ラ)100号 決定

抗告人 佐藤喜作(仮名)

相手方 藤田幸子〔仮名〕

主文

原審判を次のとおり変更する。

抗告人は相手方に対し金一七一、〇〇〇円を

1、その中金一〇〇、〇〇〇円は昭和三十七年七月末日まで、

2、残金七一、〇〇〇円は同年十二月末日まで、

に支払うこと。

本件手続費用は第一審分(審判費用調停費用)第二審分とも抗告人の負担とする。

理由

本件抗告の趣旨および理田は別紙記載のとおりである。

一、抗告人は右抗告理由第二項において、本件扶養義務は先ず第一次的に相手方の母藤田ウメに存し、抗告人に扶養義務があるとしてもそれは第二次的なものにすぎないと主張するので、この点につき考えるに、記録によれば、相手方は昭和十六年四月十日ウメと抗告人との間の嫡出でない子として出生し、抗告人の認知を受けて一旦はその親権に服したものの、同年六月十二日ウメの養子となり、じ来今日に至るまでウメと生活を共にしてきたことが認められる。

元来養子と実親との血族関係は養子縁組によつて何らの影響を被むることなく従前のまゝ継続し、従つて養子に対する実親の扶養義務も縁組にかかわりなく依然として存続するものではあるが、未成熟子の養子が実親との共同生活を離れ、養子との新たな共同生活に入るような普通一般の縁組の場合には、その当事者の意思からいつても、養子制度の本質からいつても、未成熟養子に対する扶養義務は先ず第一次的には養親に存し、実親の扶養義務は次順位にあるものと考えてよいであろう。

しかし本件においては前記のように、ウメは養母であると同時に実母であつて、養子縁組といつてもその実態はもともとウメの非嫡出子にすぎなかつた相手方を、ウメの嫡出子とするための意義しかもたず、いわば名を養子制度に借りたという程度のものでしかない。従つて相手方に対する抗告人とウメとの扶養義務につき右普通一般の養子縁組の場合と同様その間に順位を考えることは不当であり、抗告人にとつては嫡出子であり、抗告人にとつては非嫡出子ではあるが、いずれも実親であることから見て、その扶養義務に先後はなく同順位であり、各自いわゆる生活保持義務としてその資力に応じて相手方が自ら自活の道を立てることができるまでその扶養料を分担すべきものと解するのが相当である。

もつとも相手方の親権者はウメであり、抗告人に親権は存せず、また相手方はその出生以来現在に至るまでウメと共同生活を営み、抗告人とは全く生活を共にしたことのないこと前記のとおりである。この点につき親権を有し、もしくは子と生活を共同にする親に第一次の扶養義務があり、親権を有せず、または子と生活を共にしない他方の親の扶養義務は第二次的か、もしくは単なる生活扶助義務にすぎないとする説もないではないが、当裁判所はこの説をとらない。なぜなら親権の主たる内容である監護教育義務もしくは親子の生活共同の現実と、経済的な負担としての扶養義務とは必ずしも一致しなければならないものではなく、経済的に余裕のない一方の親が子と生活を共にし監護教育の責を負い、資力に余裕のある他方の親が子の生活費、教育費等を負担すべき場合もあり得て当然だからである。

以上のとおりであるから抗告人の主張は採用しえない。

二、そこで進んで相手方の扶養の必要およびその程度について審按するに、原審における家庭裁判所調査官の調査報告によれば、相手方は昭和三十五年四月秋田市茨島所在の秋田短期大学家政科に入学し、秋田県横手市横手町字柳町○番地の母ウメ所有家屋から通学しており、卒業予定は昭和三十七年三月であつて、その授業料、教科書代、実験実習費等の学費に年約五〇、〇〇〇、交通費に年一八、〇〇〇円合計年約六八、〇〇〇円、一月額平均約五、六〇〇円を要し、その外に都市生活における一般の生活費に鑑み、その生活費として最小限度一ヵ月三、〇〇〇円、小遣銭として一ヵ月一、五〇〇円は必要であり、結局毎月少くとも一〇、〇〇〇円を必要とするものということができる。そして記録によれば抗告人は日本生命保険相互会社会津若松支部長に在職していたもので、その学歴も上級学校卒業程度を下らないであろうことは容易に推定され、また抗告人と亡高山フサとの間の非嫡子克己、昌之の両名とも高等学校もしくは大学等の上級学校を卒業していることがうかがわれる点に徴して、相手方の右短大通学はその境遇に相応しない不必要のものということはできない。

しかるところ相手方には一定の収入こそないが、当審における同人提出の答申書によれば、休暇中にアルバイトもしており、その年令からいつても後述の母ウメの家業である料理店もしくは旅館業の手伝をしていたであろうことも容易に考えられるので、前記小遣銭の一部一ヵ月一、〇〇〇円に相当するくらいは同人自ら負担し得ていたものとするに困難ではない。

従つて相手方の要求する扶養期間である昭和三十五年九月から右短大卒業予定の昭和三十七年三月までの間の、相手方扶養の必要程度は、一ヵ月九、〇〇〇円と認めるのが相当である。

三、抗告人およびウメの各資産生活状況

原審記録、当審における相手方およびウメの提出にかかる答申書ならびに抗告人提出の登記簿謄本によれば、ウメは前記横手市横手町字柳町○番地に(一)宅地九八坪、(二)木造平家建店舗建坪六坪五合、附属建物木造二階建住家建坪一二坪五合外二階一〇坪ならびに(三)木造二階建住家建坪二五坪七合五勺、外二階一五坪二合五勺の不動産を有し、これら建物に相手方と同居し、従来から同所で料理店を経営していたが、営業不振のため昭和三十六年三月廃業のやむなきに至り、その後同年十月銀行等から借金して右建物を改造し、旅館業を開業するに至るまでは全く収入なく、昭和三十五年六月から昭和三十六年五月末に至る間株式会社興産相互銀行から四回にわたつて計四〇〇、〇〇〇円を借入れ、同年七月十八日には同銀行に対する債務は金一、〇〇〇、〇〇〇円に達し、更に同年九月二十六日には同銀行に対し別に金一、二一六、〇〇〇円の債務を負担し、これら債務につきそれぞれ右不動産に抵当権を設定しており、その外前記扶養要求期間を通じて、個人からの借金、未払買掛金、滞納税金等の債務も少なく、結局右期間を通じ殆んど借金によつて相手方との共同生活を辛うじて維持してきたものであることが認められる。

一方原審記録により抗告人の資産状況を見るに、抗告人は昭和三十五年三月三十一日日本生命保険相互会社会津若松支部長を定年退職し、その際支給を受けた退職金二、四三七、七〇〇円の中の一部によつて肩書住所に二階建木造家屋建坪約五〇坪(階下六畳二間、八畳一間、二階六畳二間、八畳二間)を建築し、更に同年八月右本屋のはなれとして木造モルタルトタン葺一二坪の建物を新築してここにその妻セキノと二人で起居しており、その収入としては右会社から年金月額二〇、七〇〇円手取りを支給され、ほかに右本屋の階下八畳一間を店舗として姪大村ミツに賃貸し、毎月賃料六、〇〇〇円を得ており、合計一ヵ月金二六、七〇〇円の収入がある。そして妻サキノは右各建物の敷地を所有し、右本屋の大半を使用して「サキノ助産院」を経営し、月額五、六千円以上の収益をあげている。

従つて家庭裁判所調査官に対して抗告人が陳述したところの抗告人の妻サキノとの生活費最低月額一五、〇〇〇円、医療代毎月三、〇〇〇円合計一ヵ月一八、〇〇〇円の経費を見こんでも、抗告人には前記相手方の扶養必要費月額九、〇〇〇円を全部負担して尚相当の余裕があると認めるに十分である。

四、以上のとおりであるから、抗告人は相手方に対し扶養料として、昭和三十五年九月一日から昭和三十七年三月まで毎月金九、〇〇〇円合計金一七一、〇〇〇円を支払うべき義務があるというべきである。

なお、相手方は昭和三十六年四月十日成年に達しているものであり、従つて抗告人の前記生活保持義務は右成年の日以後は単なるいわゆる生活扶助義務に変転したものといいうるのではあるが、右成年の日の前後を通じて相手方の扶養必要程度も、母ウメおよび抗告人の各扶養能力も変りないのであるから、右成年の事実は抗告人の右金員支払義務の認定になんらの影響もない。

しかして抗告人の右金一七一、〇〇〇円の支払期限については、扶養の時間は現在既に経過しているので、即時にも支払わねばならないわけではあるが、前記認定の抗告人の資産生活状況にかんがみ、全額即時の支払は多少困難であることがうかゞわれるので、これを二回に分割し、

1、昭和三十七年七月末日までに金一〇〇、〇〇〇円

2、同年十二月末日までに金七一、〇〇〇円

を支払うべきものとするのが相当である。

五、そうすると、原審判は扶養料の金額およびその支払期限の点で一部不当であるといわなければならない。

よつて、家事審判規則第一九条第二項を適用し、手続費用につき家事審判法第七条、非訟事件手続法第二五条、民事訴訟法第八九条に従い、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 村上武 裁判官 上野正秋 裁判官 新田圭一)

別紙

抗告の理由

一、先ず、第一に申立人親権者の経済力と相手方である抗告人の経済力を比較して見るに、申立人の親権者は其肩書地において多数の不動産を所有し(疏乙第一号証)、又旅館を経営し(疏乙第二号証)、非常に裕福なる生活をしているが、抗告人は到底之に対応する不動産もなく(疏乙第三号証)、妻サキノの些少な働きにより生き、殊に昭和三十五年十月より肺侵潤にて病臥中で、扶養能力では雲泥の相違がある。

二、民法第八七八条には、原審の如く独自の立場でなし得るが如きも、次に述べる大審院判例又は高松高等裁判所判例に依れば、重大なる誤認がある。即ち昭和五年(オ)第一八〇一号同六年五月九日大審院民事部判例に依れば、子に対する扶養義務は父母の内子と家を同じくする者が先ず之を負担し、母の家にある扶養義務と母が履行しても家を異にする父に対し扶養料の償還を請求する事はできぬと明示している。此判例は民法改正前のものであるが、昭和三十一年(ラ)第三四号同年八月二十一日高松高等裁判所の判例に依れば、親権に服する未成年者の子に対する扶養義務者数人ある場合、先づ親権者である母が扶養すべき義務がある事(帝国判例法規出版社判例総覧一三冊三八二頁参照)を判示しているのを見ても、前陳大審院判例は些かも変更せられたものに非ずして其解釈は尚下級裁判所を拘束せらるる事は明白である。依て原裁判所は誤れる判断を為したるものである事其審判は取消されるべきものと確信す。

参考 原審(福島家裁会津若松支部 昭三五(家)一三一四号 昭三六・一〇・一一審判 認客)

申立人 藤田幸子(仮名)

(右法定代理人 親権者母)

藤田ウメ(仮名)

相手方 佐藤善作(仮名)

主文

相手方は申立人に対し昭和三十五年九月から昭和三十七年三月まで毎月末日限り一ヵ月金一〇、〇〇〇円宛を支払うこと。

審判費用並びに調停費用は相手方の負担とする。

理由

本件申立の要旨は、「申立人は、相手方と申立人法定代理人藤田ウメとの間に出生した婚姻外の子である。相手方は、申立人の出生後申立人を認知し、その後申立人は、藤田ウメの養子となつた。申立人と相手方並びに藤田ウメとの親族関係は以上のとおりであるが、申立人は出生以来、藤田ウメの許で教育され、義務教育並びに高等学校の課程を終え、昭和三十五年四月、秋田短期大学(家政科)に進学し、現に同大学に在学中であつて、昭和三十七年三月卒業の予定である。

ところで申立人が右大学において勉学するための経費は、被服費を除いても、一ヵ月最低金一五、〇〇〇円を必要とするので、相手方に対し昭和三十五年九月以降同大学卒業予定の昭和三十七年三月まで、一ヵ月金一〇、〇〇〇円の扶養料の支給を命ずる審判を求める。」というのである。

よつて按ずるに、本件記録編綴の戸籍謄本、秋田短期大学長の証明書、調査官の調査報告書を綜合すれば、申立人は、昭和十六年四月十六日相手方と藤田ウメとの間に出生したものであること、相手方は申立人を自己の子として認知したが、同年六月十二日藤田ウメは申立人と養子縁組を結んだこと、申立人は出生以来藤田ウメに養育せられ、昭和三十五年四月一日秋田短期大学家政科に進学し、現に在学中であるが昭和三十七年三月卒業見込みのものであること、申立人は秋田市内に下宿して通学している関係上、下宿代、授業料、教科書代教材費その他を合計すると月平均一五、〇〇〇円の費用を要すること、藤田ウメは横手市において、昭和二十三年春頃から小料理店を営んでいたが、営業不振のため昭和三十六年三月二十日廃業し現在無職の状態にあるが、資産としては現住する家屋と宅地のみであり、負債としては右所有不動産に抵当権を設定して借り入れた借金が四〇〇、〇〇〇円程あるが、他にも相当額の借金があり、公租公課金の滞納もあること、一方相手方は日本生命保険会社会津若松支部長を昭和三十五年三月三十一日定年退職したが、その際は金二、四〇〇、〇〇〇円余の退職金を受け、現に同会社から月にして金二〇、〇〇〇円余の年金の支給を受けていること、資産としては妻名義にはなつているが、会津若松市内に約百坪の宅地を所有し、建坪約五十坪の二階建家屋を所有している外、最近建坪約十二坪の離れを新築していること、その他直相手方の収入としては家賃月六、〇〇〇円が入るが妻が助産婦をしているのでその方の収入も相当あること、相手方は目下右の妻と二人暮しで、生活面においては、かなりの余裕があることが認められる。

右認定の諸事情と本件に現われた一切の事情を合せて考えると、申立人に対する扶養義務の履行として、相手方に昭和三十五年九月から昭和三十七年三月まで毎月末日限り金一〇、〇〇〇円の支払を命ずるのが相当であると認められるので、注文のとおり審判する。

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